ノーマークだった『プリースト~悪魔を葬る者』を観ました。 [映画]

     
『プリースト 悪魔を葬る者』
2015年韓国公開作品。

最近はブームが去ったせいか、
韓流サスペンスの情報がほとんど入りません(-_-;)
私が病気とかなんかのせいで情弱というのもあるんですが、
それにしたってね~

さて、この映画は『チェイサー』でお馴染みの演技派、
キム・ユンソクさんが主演のお一人ということと、
韓国版『エクソシスト』という触れ込みが、
いかにも私好みで楽しみにしていたんですが、
その後はすっかり失念し、気付いたらすでにレンタル可になっていました。

とはいえ、
公開後の話題がまったく聞こえてこなかったので、
ほとんど期待せずに観たら、
エクソシストものとしては
『エクソシスト』『エミリー・ローズ』と並ぶ傑作でした。
『コンスタンティン』的エンタメ要素もあって、個人的に好きです。

…あ、この手のオカルト肯定系がもともと好きじゃないという人には、
本当に受け付けない系だと思うのでご注意。
傑作、と言っても、あくまでも観る人の趣味を選びます。
それも、もの凄く極端に。
「神様肯定系のオカルトはゲボー(^^;)」
という人や、
「ホラーと言っても、そもそも怖くないじゃん(-_-;)」
という人には本当にまったく向きません。
また、主演の一人、カン・ドンウォンは
韓流イケメンスターなので、
「ねー観てみて、かっこいいから観てー」
と若いお嬢さんはお友達に勧めたくなるでしょうが、
この手の宗教作品は、嫌がる人に勧めてはいけません(・д・)ノ
宗教や主義・主張には人それぞれの思想があります。
「私そんなのナイよー」
なんてヘラヘラしてみせる人だって、
実は日和ることで自己主張してるのです。
カン・ドンウォンの神父姿を見るだけでも…、
というなら、写真だけ見せてウットリしましょう。

以下、ネタバレ有りの感想。
(『エクソシスト』などのネタバレもあるので未見の方は注意)






お話としては『エクソシスト』系の基本に忠実で、
主人公たちには『コンスタンティン』系の業も見えて、
あまり困惑しないように、
単純化されながらも、よくまとまっていたと思います。
特に二時間内のほぼ四分の一のみで、
キム神父とアガト補助司祭(この呼び名だけでも美意識を感じる)の、
強い師弟の絆が結ばれるエピソードが描かれるのは、
脚本と演出の凄い威力を感じました。
もちろん役者さんたちの演技も素晴らしい。
苦悩や業、疑念や信頼など、
短時間で目まぐるしく変化する情感を、
極少の演技で表現しています。

『チェイサー』でも、
ソ・ヨンヒ演ずる非業の娼婦との間に通ずる、
まさに携帯電話のアンテナ線のごとき弱々しい、
でも切れてはいけない絆を、
彼女と一度も顔を合わせるシーンなく
(目が合った時は、彼女はもう生首でしたね…)
演じていたユンソクさんなので、
この言葉少ない善人の役柄を
大げさにならないように演じています。

物語の華である悪魔祓いのシーンよりも、
悪魔を××に移し、その××を滅すべく移動するシーンが派手に演出されています。
最後の十分、他のエクソシストが失敗した儀式の過程を、
アガトが単身果たそうと走り続けるのは、
前半の彼のいい加減さとの対比として見事です。
(アガトがお香を焚きながら歌う聖歌も荘厳で、清廉です)

ここまで来るとすっかりアガトに心を奪われていた私は、
頼むからラストでアガトの目が真っ黒になってニヤリ、
とかそういうエンディングはやめてくれ_/>O
と祈っていました。
『エクソシスト』のラストでもメリン神父はみずからの肉体ごと、
悪魔を滅するという最終手段に出ますし…(T-T)
もしそういうラストだったら、
ここまで私にとって傑作なのに、
ただの三流ホラーってことになっちゃうよー(;_;)

落として拾ったロザリオを漢江にポイすることもなく、
スタッフロールの後で目が真っ黒になることもなく、
よかったです。

まぁ、この後の展開としては、『エミリー・ローズ同様、
神父たちのしたことは殺人未遂か否か、
裁判にかけられることになるのでしょう。
でも希望としては、死んでしまったと思われたヨンシンが、
意識を取り戻しそうな指の動きを見せていたので、
彼女がきちんと証言をしてくれたら、
神父たちは無罪放免になるのではないかな。
ただ、一度悪魔に憑かれると、死霊とかにも憑かれやすくなりそうで、
ヨンシンの身が心配です。

個人的には、ラストのアガトの決意溢れる歩き方を見て、
彼が〝一線を越えた者〟として祓魔士になる決意をしたように感じました。

話がわからない、つながっていない、
という感想もあるようなので、
そもそもこの手のオカルト作品に手を出さない人には
ホントに不明瞭なんじゃないかな、とは思います。
やはり宗教系は、
「触れるモノしか信じないし、信じる必要ある?」
という人には向かないと思います。

私も、こないだ突然『SAWファイナル』を観たら、
(1と2しか観てなくて、ファイナルにはナンバリングがなかった)
これを好きで観る人って何が目的なんだろう???
って思ってました(^^;)
話がわからない、とかでじゃないですよ。
物語の大半が、順番に殺人ピタゴラスイッチを巡ることなんだけど…。
要するに仕事仲間とかが死ぬんですよ(-_-;)
自分の嘘のせいで、痛めつけられて、オモシロスイッチで惨殺されるわけ。
これはどこがキモなんだろう?
ズタズタにされる人体を「キャー」っとキモがって愉しむ?
自業自得とは言え可哀想だと悲しむ?
人間の良心とは? という命題?
とうとう殺人鬼ジグソウの後継者が決まった!
と、ほくそ笑む? あるいはコイツじゃないだろ、と怒る?
話がもともと趣味じゃないと、
そういう悲しい感想しか持てないんですよね…。

とりあえず大まかなあらすじ、というか、
流れを書き出します。

1,
悪魔の中でも12悪魔と称される大悪魔の一人が、
韓国人に取り憑いたので、
ローマ・カソリック教会が認知していない薔薇十字教団の祓魔士が、
悪魔を滅するためにやってくる。

儀式は大半が成功するものの、かんじんの最後、
〝悪魔を××に移して●●する〟
ことが、あらゆる障害によってままならない。
祓魔士は罪なき女子高生ヨンシンを車でひいてしまうが、
悪魔を滅することが最重要と、ヨンシンを捨て置いて立ち去ろうとする。
すると××からヨンシンに〝よりしろ〟を変えた悪魔が、
祓魔士を殺してしまう。
(死んでないかも)

2,
薔薇十字教団の一員であり、死にかけている師を持つキム牧師は、
取り憑かれてしまった女子高生ヨンシンと知り合いだった。
ヨンシンは自分の中に悪魔がいることを自覚しており、
悪魔が自分以外の人間の元に行かぬよう、
強い信仰心でとどめている。
(男性の悪魔なので、男性に取り憑きたがっている、という設定)

悪魔はヨンシンから出て行きたくて、自殺させるが、彼女は一命を取り留める。

3,
神学生アガト(洗礼名)は、
子供の時に妹を犬に食い殺された過去を持つ。
彼は一緒にいたのだが、あまりに犬が恐ろしくて、
妹を救えずに逃げてしまったのだ。
彼は本来、明朗快活剛胆な性質なので、
神に仕えることで、悲劇の業から逃れることを望んでいる。

アガトは学長から、非公式に、
薔薇十字教団の祓魔士の補助司祭を依頼される。
しかし実際のところは、
祓魔士であるキム神父が、悪魔祓いと称して少女に性的悪戯をしているのでは?
という疑いがあるので、それを確認するためのスパイの依頼だった。
アガトはキム神父の補助司祭としての役目と、
学長のスパイの役目という相反する仕事をすることになる。

4,
師との別れは済ませたキム神父だったが、
死霊に取り憑かれてしまった師を救うことになる。
虚無感や、寂寥の中、単身の心細さを奮い立たせるキム神父。

5,
アガトは一抹の不安を抱きつつ、キム神父と邂逅する。
皮肉屋で冷徹なキム神父は、アガトにマイナス感情を植え付ける。
しかし嫌な奴、と思う矢先、
妊娠している妹に対するキム神父の優しさを垣間見て、
気持ちが揺らぐ。

6,
悪魔の力が強くなり、姿を現わしやすい夜、
韓国にある伝統的な霊的儀式によって、
ヨンシンの悪魔祓いが行われる。

……ここで詳細は語られないけど、
キム神父には霊的な〝お仲間〟がいる描写があります。
『コンスタンティン』が思い出されます。

7,
巫女による悪魔祓いは失敗し、
キム神父とアガトの準備が始まる。
アガトはキム神父が信じ切れず、
儀式の様子をカメラで撮影するが、
あっさりと発覚して、直後に激しいオカルト体験をすることになる。

儀式は途中までうまくいくが、
未熟なアガトのミスによって最後まで仕上げられない。
恐怖から逃げ出すアガトだが、
幼かった自分と妹の幻影を見ることで、
過去から脱却する。
(業からの脱却は、いろんな意味があると思います。
私は「僕はあんなに幼かったのか」と、
みずからを許せたことが大きな要因ではないかな、
と思いました。もちろん妹が自分を恨んでなんかいない、
という認識も、大きい要因だと思います。
もし逆の立場だった時、自分は妹を憎まない、
という、鬱々とした気持ちの昇華ですね)

アガトが現場に戻ると、キム神父は警告する。
アガトは塩によって引かれた一線を越えたため、
補助の司祭ではなく、一人前の司祭となった。
悪魔の目に捕らえられるようになったという警告。

(一連の儀式の内容や、オカルトの豆知識的な事柄は、
ほぼ監督の創意工夫だそうです。とてもよくできていて、
面白いし、美意識もあり、破綻していません)

アガトは決意もあらたに儀式の場に臨む。

8,
儀式は成功し、ヨンシンの中から出た悪魔は、
××=子豚に乗り移る。
警察が呼ばれてしまったため、アガトは単身、
子豚を抱いて部屋を飛び出す。
一時間以内に●●=水深15M以上の川に子豚を捨てなければならない、のだ。
警察、停電、害獣、害虫、車両事故、
あらゆる困難・障害がアガトの道を遮る。
アガトは漢江に向かうため、タクシーに乗り込む。

別場面では警察に連行されるキム神父が、
アガトのために祈りを捧げている。

タクシーは漢江方向には行かないはずだったのに、
向かってくれる。
また、困難はなく漢江にたどり着く。
最後に事故に遭いかけたその時も、
タクシーの運転手が助けてくれる。

(……これは字幕にはありませんでしたが、
キム神父の祈りは、
「アガトのために天使を遣わしてやってください」
というものだったそうです。
考察サイトさんには、運転手さんが天使の役割だったのでは、
とありましたが、私もそう思います。
『コンスタンティン』でシャイア・ラブーフが演じたチャズを思わせます)

一時間以内に悪魔憑きの子豚を川に捨てなければ、
そばにいるアガトが取り憑かれてしまう。
限界を感じたアガトは、ついに子豚と共に漢江に身を投げだす。

9,
こうしてそれぞれがラストを迎える。
キム神父の体を冒していた病魔の黒い斑紋は消え、
救急車で運ばれるヨンシンの手は母親の手を握り返し、
アガトは漢江から自力であがり、
橋の上に落としたロザリオを拾って意気揚々と歩き出します。

おしまい


……どうですかね。
かなり『エクソシスト』と同じような、
判りやすくできたオカルトものだと思うのですが。

たとえば、
ヨンシンのお祓いを韓国の巫女さんが突然やってるのが、
「なんか判らない」
という意見もありましたが、
これはお国柄で、日本だったら織田無道とか、
昔で言う宜保愛子さんとか、細木和子さんとか、
まあ、その手のオカルトさんたちが来て、
それぞれの儀式信仰方法で〝悪霊退散〟をするわけですね。
今の人だと『孔雀王』とか、わかんないのかなぁ_/>O
このへんは、
言うなれば「私に任せな」って人が失敗して、
主人公が満を持して登場、という、
むしろホントにベタな演出にすぎないと思うんですけどね(^^;)

マジメな宗教モノというよりは、
かなりエンタメ色に偏った作品だと思います。
オカルトが大丈夫、むしろ好き、という人にはホントにオススメです。



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