『ソロモンの偽証』TV版 (前後編) [映画]

     
     
『ソロモンの偽証 事件/裁判』
2015年公開作品。

原作未読。
わたしみたいな者が批評するような作品ではなくて、普通に良作。
中高生とか、なんだったら親とか小学生とかが見て、
「イジメ・カコワルイ!」
とか、
「暴力・イクナイ!」
とか、
「差別・絶対ダメ!」
とか学べばいいんじゃないかしら(^_^;)


以下、クズなりのネタバレ有りの感想。
斜めに育った意見が入りまくりなので要注意。



映画を観て心を揺さぶられたいとか、
アドレナリンヒャッホーしたいとか、
映像美に酔い痴れたいとか、
ゾクゾクゲロゲロしたいとか、
そういう、なにがしかの強い刺激はない作品でした。
上映前、比較的ショッキングな扱いだったのは、
〝中学生が裁判をッ!?〟
という一点からだったと思うんですが、
後編の裁判に関しては、
卒業式のコール・アンド・レスポンスと大差なかったかも(^_^;)
単「先生ありがとう」
全「ありがとう!」
単「お父さん、お母さん、ありがとう」
全「ありがとう!」
……みたいな。
これでどうだ!
みたいな大ネタも、「うーん、さもありなん」という感じで、
驚愕もなく過ぎていくし。
個人的には、
イジメにあっていた子たち全員で大出君を……
……って、ここまで数行、ひどい残虐行為を羅列してしまったので自粛。

子供たちの演技は〝中学生の演技〟の域を出ていないので、
善と悪の混在した複雑さを表現するには未熟でしたね。
特にもったいなかったのが、
事件のキーパーソン、柏木君で(-_-;)
彼は映画の中ではもの凄くイヤなイジメられっ子にしか見えなかった。
ホント、言いたくないけど、
お前、その調子でみんなに喧嘩売ってたら、そりゃあ嫌われるわ…(´д`)
という、いわゆる
〝罪もなく何も悪くないのに〟といういじめられっ子じゃないんですよ_/>O
ただの嫌われ者だよね、アレって(-_-;)
でも他人の心を抉るように刺してくる凶器のような言葉は、
彼の唯一の武器だったと思うんです。
だから表現によっては、彼の厭な部分も、
同情に値するように描けたと思うんですが…。
ただし、
わたしは原作未読ですし、監督さんの考え方として、
柏木君は印象最悪で貫こうとしたんだとしたら、
役者さんのメソッドは成功していると思います。
話が進むほどにこの柏木君がイヤでたまらなくなりますから。

特に最後、なぜもっと、柏木君の心からの叫びを演出できなかったのかな…。
たった一人の友達を言葉の凶器で死ぬほど傷つけて、
そうして傷つけておきながら、でもそばにいて欲しいという、
相反する渇望を抱えて混乱の中にいたんでしょう?
神原との行き違いはもっと感情的でいいと思うんですが。
単調に叫んでフェンスを越えるだけって…。
雪も降ってて、シチュエーションとしては最高だったと思うのに、
なんか狭いスタジオ感が満載で、
一方からのカメラワークも退屈極まりなく、
うううーーーーーんん(-_-;)

もう一個気になったのは、この柏木君は、誰にも触れないんですよ。
最後まで棒立ち、喜怒哀楽が薄い。
触れるのが怖い、という描写もない。
誰かともう少し触れ合っていたら、
彼が熱量のある生身の人間だってわかりやすかったと思うんですが…。
もう一人の超イヤなワルイ子、ジュリちゃんは、
お母さんや松子ちゃんと触れ合っていた分、わかりやすかったんですが。

わたしは『告白』も、ラストの「なんてね」ってセリフが嫌いで、
それだけでもう、あの映画大嫌いなんですが、
それでもあっちの方が心は抉られましたね。
幼稚な悪意の描き方も、あっちの方が上だったなぁ。

でも、何度も言いますけど、
思春期の子供にはこちらの映画を見せて、
悪意には悪意が、善意には善意が報いるのだという、
〝当たり前のこと〟を学ばせるのに良作だと思います。
先生も生徒も親も、みんな善悪に両極端な描かれ方をしていますが、
その分、教訓としてはわかりやすくなっていると思います。
それだけに、同情してしかるべき存在だった柏木君に、
カケラも同情できない作り方はどうなんだろう?
と、モヤッとするのであります。

基本的に、わたしはもう斜めな視聴しかできないので、
まったく嗜好に合わない映画でしたが、
とにかくそれでも良作ではありました。

でも……
前後編に分ける必要はあったの??
前後編とかの興業が成功しているって話聞かないけどなぁ…。


トラックバック(0) 
共通テーマ:映画

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。