スーパースター不在論 [アイドル]

「怒り新党」で、なぜピンのアイドルがいなくなったのか?
という質問メールにマツコ・デラックスさんが答えていました。

ちなみに、わたしはマツコさんより五つほど年上です。
なるほど、と思うコメントもあれば、自分とは違う主張もあったりする人です。

以下、だらだらと長い個人的な意見が続きます。
アイドルに興味のある人か、超ヒマな人だけ読んでください。

マツコさんの意見では、大まかに言って時代のせい、
歌謡曲時代ではないから、ということでした。

わたしは、ユーザーを取り巻く環境の激変が一番の要因ではないかなぁ、
と思っています。
この先、ピンのスーパースターが出るか出ないかは判らないけれど、
(上戸彩、ベッキー、沢尻エリカ、西野カナ、安室奈美恵、きゃりーぱみゅぱみゅ、
といったCDも出している女性タレントをアイドルと定義するなら、
スーパーとは言えなくても、それなりのスターは登場していると思うし)
大衆の意識はそんなに変化していない気がします。

以前にテレビを持たない層のニュースを見ましたけれど、
ネット掲示板、ネットニュース、ネット配信、Twitter等々、
PCモニターには常に複数のチャンネルが表示され、
ユーザーは昭和時代のお父さんばりにガチャガチャと表示を変えていました。
映画は1.5倍速、字幕版なら二倍速で早見し、
つまらないとなれば途中で切ってしまう。
お茶を一杯、じっと何もせず味わうなんて暇はなさそう。
当然その間にラジオが紹介する流行歌に耳を傾けることもありません。

PC依存型ユーザーに限らず、
元々テレビに関心のない一定層のために、
音楽は切り売りされる時代となり、
携帯電話でも好きなMVがいつでも観られるようになりました。
わざわざテレビにかじりつき、
「お母さん、声が入っちゃうから!」
と、ラジカセの録音スイッチをスタンバイしてイラつくこともないわけです(笑)

あれほど我々を虜にし、
人類は生涯ゲーム漬けになるだろうと確信するほどだった
〝家庭用ゲーム〟というジャンルでさえ、
別にそこまでゲーム好きじゃない、
という層のために開発されたソーシャルゲームに取って代わられました。
(現在ではソシャゲすら、一定層を捉えきり、下降線を辿っているそうな)

先日の映画ドットコムのニュースでは、
映画館に映画を観に行く人々が減っている、
という調査結果が出たそうです。
わたしが「ほら! やっぱり」とゲス顔になったのは、
3D映画も衰退しているという調査結果が出たからです。
もちろん、3Dが好きだ、という人はいます。
しかしそれもやっぱり〝一定層〟でしかなく、
多くの層が、映画は3Dでなくて良い、という層なんですよね。

───3D映画に関しては、少し横道に逸れるけれど、
ピンアイドルの生きる道と少し似ていると思ったので、
意見を述べておきます。

先日WOWOWで「アベンジャーズ」をやっていたので、
久しぶりに観ました。
「アイアンマン2」まで観てからの初めての視聴になりました。
一度目の時はかなり否定的な感覚しか持てなかったのですが、
今回はだいぶ肯定的かつ、かなり面白いと受け止めました。
二度目の視聴なわけだから、
オチは知っているし展開も判っていました。
それでも〝面白い〟と感じたのは、
3Dによる刺激などではもちろんなく、
フィル・コールソンとブラック・ウィドウというキャラの登場に
「待ってました!」と感じたからです。
この「アベンジャーズ」の重要キャラ二人は、
「アイアンマン」を2まで観ないと、
その性格、スタイリッシュさが伝わりにくいのです。
(ブラック・ウィドウは観てなくてもカッコイイですけど)
「アベンジャーズ」という一本の映画作品を
もっとも面白く観るためには、
「キャプテン・アメリカ」「アイアンマン1と2」
「マイティ・ソー」「ハルク(少なくともその発生経緯を知っている)」
という四つの世界観を先に知っていなくてはならないわけです。
「アイアンマン」を観ずに「アベンジャーズ」を観ると、
ミス・ポッツが出てきても「だれ? ああ、恋人ね」だけで終わるのです。
3D映画は、その宣伝時こそ
「3Dがすごい! 3D最高!」
ともてはやすものの、
たいていの場合、公開後にその技術が評価されることはありません。
3D映画を造りたくて造っている人は、
極論だけど、普通のセックスに飽きてSMやスカトロに走るのに似ていると思います。
ある一定の需要はあり、強烈に求められはするけれど、
大衆には去られる運命にある気がします。
(これは40オーバーになって様々な目の疾患に悩まされるようになると、
余計に強く感じると思います。そして悲しいかな、世の中は年寄りばかりなのです)

逸れに逸れまくっていますが、
近年興行収益を塗り替えた「アベンジャーズ」と
「アバター」に代表される定義なので、前置きしました───。

グループアイドルの台頭は、
「アベンジャーズ」を造り、求めた層と似ているとわたしは思ったのです。
特に大衆にまで受けたAKB48、ももクロZ、初期モー娘。などは、
完璧にこの図式に当てはまります。
個々で戦うとこぢまんりとして、
一定層にしか受けないけれど、まとまって戦うことで多くの層を引きつけたのです。

AKB48と初期モー娘。は、
これまでなら三十年後にしか聞けない裏話を
表舞台で晒したことが、
アイドルに興味のない層を引きつけたと考えられています。
フッくんが三十年前に大磯ロングビーチで夜這いした話なんて
誰も聞きたくないわけですが、
もし全盛期にぶっちゃけていたら、伝説級のアイドルになっていたでしょう(笑)
ピンクレディーのケイちゃんが、
睡眠時間一日三時間とかの頃に、
銀座のど真ん中で赤信号停止した車中から、あてどなく飛び出してしまった話とか、
「あの頃は~」という過去話ではなく、
「昨日、実は~」とぶっちゃけられるのが今のアイドルです。

たとえばHKT48の指原莉乃は、先週日曜日の大阪でのライブ、
過呼吸で途中一端退場しました。
その際に何が起こったのか?
わたしたちヲタは翌日には続々と背景を知ることになりました。

・明治座公演の準備、ライブ公演、新曲プロモーション、
などなど、疲労のピークで指原は体調不良だった。
・指原の調子がおかしいことを、メンバーは察していた。
・「大丈夫?」と尋ねたHKTエースの一人、田島芽瑠に、
指原は「わからない、だめかも」と答えていた。
・指原の退場があるかもしれないと察していたメンバーは、
アイコンタクトによって覚悟をしていた。
・指原がこらえきれず一時退場すると、
中学一年生の矢吹奈子がポジションチェンジして急場をしのいだ。
・その矢吹は、前々日に祖父を亡くして死に目に立ち会えなかった。
・矢吹は誰かに指示されたわけではなく、
指原のポジションを覚えており、急場でチェンジすることも指示されていなかった。
・矢吹はジェスチャーで、観客に「指原は喉痛のために一時退場」と告げ、
不穏な空気を解消しようとしていた。
・指原不在の緊張と不安からか涙目になる矢吹を、
舞台上、チームH副キャプテン松岡菜摘や朝長美桜らが励ましていた。
(MCではなくて、歌っている最中)
・異変を察知した芽瑠と宮脇咲良は目で合図しあっていた。
・指原の代わりに、多田愛佳が煽りを引き受けた。
・指原の一時退場は、過呼吸によるものだった。
・東京周回組の夜ご飯は鯛入りちくわのみ、
(お腹がすいて泣く子もいた)
福岡帰宅組には豚まん等が振る舞われた。

わたしが記憶しているだけでもザッとこれだけの裏事情が、
たった一日のうちに、一歩も外に出ずに、
テレビを観ずに知れることになったのです。
もしこれがピンのアイドルだった場合、
誰も代わりにはなれない、というカリスマ色は強調されますが、
グループが一丸で勝利する、というドラマは産まれない。
そしてかつてないスーパーアイドルとなった松田聖子も、
誰とつきあって、誰と別れて、
というリアルプライベートが〝今〟ニュースになることで、
大衆のものになったことを考えると、
蟻も集団になると象を倒すという格言を彷彿とさせられるのです。

AKB48グループには、
300人を越すメンバーがいて、
それぞれが抱えているドラマを放出しています。
より〝面白い〟ドラマを抱えているメンバーがピックアップされ、
ドラマを提供できないメンバーは埋もれてしまう。
〝頑張ってる〟〝歌がうまい〟〝スタイルがいい〟という、
おおよそ一般人が憧れたり羨望するイメージより、
〝挫折〟〝傷心〟〝醜聞〟
といった、ネガティブなはずの要素の方が、
大衆は飛びつくし、ヲタも記憶から抹消しないせいです。

かつてグループに光宗薫という、
鳴り物入りで研究生になったメンバーがいます。
彼女はいくつかの理由でヲタの人気を得られませんでした。

・オーディションではなくスカウトだと後日信憑性の高い噂になった。
(光宗の友人がTwitterでなにげなく暴露してしまった)
・研究生でありながら、即、超選抜と一緒のCM選抜に選ばれた。
・ジャニーズと共演したドラマ選抜でセリフのある役をもらっていた。
・茶髪ショートでガリガリのモデル体型だった。

そして満を持して迎えた総選挙で、
彼女はランクインしませんでした。
彼女が会場から引き上げる通路で泣き崩れる場面は、
ドキュメント映画で晒されました。
わたしの個人的な見解では、
彼女はじわじわと人気を得つつあったと思います。
焦る必要は無かった。
見た目の印象と違い、アーティスティックなセンスの持ち主だったことも、
〝変わってるメンバー〟として支持され始めていました。
彼女が敗北した場面をわざわざピックアップしたりした運営側の意識からすると、
敗北から逆転に勝利する光宗のドラマを演出したかったのだと思われます。
しかし神経の細い彼女は泥臭いドラマのキャストになりきることはできず、
あっさりと退場してしまいました。
彼女にとってはそれで良かった…。
しかしAKBにとって大損失だったことは、否めないと思います。
もし今××が××だったら…という考え方は、AKBによくあることですが、
実際、もし今光宗がいてくれていたら、
センターの渡辺麻友の隣に彼女がいたと思います。
他の誰と並ぶより互いを輝かせ合える絵になる二人だったでしょう。

中森明菜や安室奈美恵が、テレビの露出を極力減らしたのは、
出れば出るほどカリスマ性が薄れたからです。
(失礼だけど、どちらも知性が低いので有名)
ザッピング時代に産まれたAKBの、
それこそレントゲンまで晒して抜きんでようとするアイドル魂とは
まるきり方向性が違います。

これはまた映画との比較になりますが、
どんなに3Dをもてはやそうと、映画ファンは古典に走るのです。
飛び出るびっくり映像より、
白黒画面でも地鳴りが聞こえそうな「七人の侍」に感動するのです。
「アバター」を生涯一の映画とする人より、
76年も前の「風と共に去りぬ」を生涯一とする人の方が多いのです。

わたしが中学生の時は、
どんなに松田聖子が有名になっても、
山口百恵と比べたら小物ね(*´ -`) と蔑まれていました。
今はAKB48も、
結局一人じゃ戦えない有象無象の連中でしょ? と蔑まれます。

AKB48を含むグループアイドルは、
一人一人が弱いから産まれたのではなく、
多種多様な層にあわせて細かなニーズに応えるために産まれたのです。

現在のところ、ユーザーがチャンネルを換えたくなっても、
嗜好が同じである限り、同じ系統の
より細分化されたアイドルに引かれていくようになっています。
AKB48から乃木坂46に推し変したりすることはあっても、
タイプのまるで異なったももクロZやモー娘。には推し変しにくいわけです。
この、細分化された好みに対応していく限り、
AKB48系一択の現状は打破されにくい。

勘違いしている人が多いけれど、
グループを箱推ししている人もまた〝一定層〟にすぎません。
多くのヲタが、自分の嗜好にハマッた一推しだけを愛しています。
AKB48が好きなんじゃなくて、ぱるるが好き、とか、
まゆゆが好き、とか、になるわけです。
彼らにとっては、マツコさんにとっての明菜が、
ぱるるでありまゆゆだから、
〝ピンのアイドルがいない〟
という意見は自分が萌えられない言い訳か、幻想にすぎないのです。

───ちなみに、昔のアイドルが若くして大人だったのは、
寿命のせいだと思います。
あと、〝女は二十代で結婚して子供を産んで家庭に入る〟
という思想がまかり通っていた時代のせいですね。
男性は十代のアイドルが歌い踊るから熱狂していました。
二十代になると、歌って踊るのは〝いかがなものか〟
という視線で見られていました。
いい年(二十代)をして芸能界にいるなんて、
きっととんでもないアバズレに違いない、というイメージですね。
だから ちあきなおみ は「喝采」(超名曲です)で
恋人が死んでも舞台に立つような暗い歌を歌い上げ、
山本リンダは「どうにもとまらない」でビッチな女を演じたのでしょう。
山本リンダやピンク・レディーの後のコメントなどを聞く限り、
『こうしろ』と言われた通りのことをしていただけ、なのですから。


長々と書き連ねてしまいました(*´ -`)
「アベンジャーズ」を観ていたら、
猛烈にこの考えが頭に浮かんで、語らずにはおれなくなったのです。

わたしにとって最近でいうなら、
一推し映画は「グランド・イリュージョン」ですけど、
多くの人にとっては違います。
また、映画の魅力を語るとき、
3Dを含めたうえで評価する人もいます。
(「トランスフォーマー」など、3Dでないなら観る意味ナシ、という人もいます)

大多数の支持を集める一人のスーパースターなんて、
必要とされていないから現れないんじゃないかな?


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