スゲータイトルの「発情アニマル アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ 1978」と、イミフだった「赤い影」 [映画]

     「発情アニマル アイ・スピット・オン・ユア・グレイヴ 1978」

2011年度版は以前に観ていて、元版を観たかったのでレンタルしました。
超絶恥ずかしいタイトルなのでツライです。
AV借りるよりツライかもしれません。

【おおざっぱなあらすじ】
都会から田舎の湖畔にバカンスにやって来た女性作家のジェニファー。
メンタリティの低い男たちが勝手にド興奮。
「誘ってんだろう」という底辺発想から輪姦。
気弱な男がジェニファーを殺せなかったため、
ジェニファー怒りの復讐を決意。
一匹ずつクソ男たちを滅していきます。
おわり。

……おおざっぱ、と書いたけど、
逆に、これ以上の話はないか…(ノд`)

2011年度版は、後半の怒りの復讐劇がメインとなり、
男たちを殺害するギミックがこれでもかと使用されていましたが、
比較するとこちらは控えめ。

当時、どういう情勢で製作されたのか判らないので想像するに、
バイオレンスとエロをくっつけるのが、観客動員の肝だったのでは?
と思われます。
必要最低限、女性側の〝ナニか〟が守られている2011年度版と違い、
こっちはもうナニ一つ守らせてくれません(ノд`)
復讐にあたっても、弱々しく白い華奢なオンナ作家にナニができるのか、
思考の末に、ジェニファー屈辱のハニー・トラップ敢行です。
また、2011年版の輪姦はサラリと、
『…お察しください…』展開なのですが、
こちらは頭を抱えたくなる惨いシーンが続きます。
(性的に興奮させられる描き方とはおもえませんでしたが、
各批評を見る限り、男性はそれなりに魅了されるようです)

しかし2011年度版が、いわゆるソウの流れをくむ、
単純で苦痛をモチーフとしたワーキャー系で終始しているのに反し、
1978年度版は、ジェニファーの心持ちがひしひしと伝わってくる傑作となっています。

自分の主義主張はあまりしたくないんですが、
最近よく聞く、男性向け作品の中で玩具になっている女性の権利を問う文言ですが、
女性が大切に扱われていない作品内では、
男性も大切に扱われてはいませんよ? ということだけは主張したいです。
なんだったら、女性よりひどい扱い方をされているのではないかな?
と、この作品を観て、つくづくそう思いました。

上記に述べたように、
ジェニファーは都会から来た女性作家です。
モラル意識は高く、知性も秀でていますし、
物騒な都会の常識からピストルを所持してはいるものの、
「…こんなに静かで素晴らしい避暑地なのに、物騒な物を持ってくるなんて、
あたしのバカバカ…」
と言わんばかりに(言いませんけど)、引き出しにしまうシーンも出てきます。
長時間のドライブで疲労していた彼女が、
運転席を降りて歩いてリラックスするシーンもあります。
このガソリンスタンドにたむろしていた男たちこそ、
後に彼女を襲う連中ですが、もちろん彼女は彼らの心根など知らず、
親切なガススタンドの店主と気安く会話し、
都会と違って大人のくせに相撲なんかとっている男たちを微笑ましく見守るのです。
また、離れた商店から食料などを配達してくれた
〝カラダは大人ココロは子供〟の男にも、気持ちよくチップをはずみます。
都会での暮らしに疲れているせいか、
作家なのにDQN系のポエムも書いてしまいます。
『会いたくて会いたくて震える小鳥みたいなマイハート…
都会では死んでしまいそうよコンクリート・ジャングル…
そうだ、田舎に行こうレッツゴー』
みたいな。

このジェニファーの悪気のまったくない、
都会=ヨゴレ 田舎=健全
という偏った意識は、すぐに覆されます。

親切だったガススタの店主は、働きもせずに相撲ばかりとってるニートたちのリーダーで、
ジェニファーは『俺たちを誘ってるんだ』と主張します。
AVの見過ぎです。
ジェニファーが「田舎の男はみんな純朴」と信じているように、
彼らは彼らで「都会のオンナはみんなヤリたがり」と信じているのです。

輪姦シーンが始まると、
この男たちがどれだけ〝馬鹿〟〝マヌケ〟〝最低〟〝ヨゴレ〟〝知能指数低すぎ〟
と、あらん限りのクズとして描かれているのか理解できます。
まずジェニファーはきちんと言葉で「やめて」とか「いや」とか「助けて」と言うのですが、
この男らは「ヒャッハー」とか「ウォホホホホ」とか、
もう言葉も失ってるわけですよ(-。-;)
小学生の男子でも、今時ならもっとジェントルでしょう。
ジェニファーの別荘まで押し入った連中は、
ジェニファーのDQNポエムを口に出して読んだりします。
「やめてぇぇぇーーーッ。・゜゜(ノД`)」
それは一番ヒトとしてやってはイケナイことでしょうがぁぁぁッ

この描かれ方を観て、男尊女卑! という人がいるとは思えない。
男が観たってこの男たちはクソの中のクソでしょう。
女が観たら言わずもがなです。
アグネスには決して見せてはいけない禁著です。

扇情的なタイトルに反してポルノではないので、
ジェニファーは感じたりしません。
痛々しくボロボロになって、怒りの矛先をどうすべきか苦悩します。
これもね、
ヤッた後でジェニファーを殺して(と、思い込んで)反省の色一つ見せない男らとは、
描かれ方がまったく違います。

また、ニートどものリーダーが妻子持ちであることもさりげなく描かれます。
ジェニファーとはまるっきりタイプの違う奥さんを見て、
なんとなーく、男の鬱憤を理解しますが、
だからってジェニファーがその犠牲になっていいはずはありません。
それに、子供の年齢すら覚えていないこの男は、
奥さんが誰だろうと、同じ道をたどるでしょう。

ジェニファーが教会で祈りを捧げ、許しを請うた時、
観客はいよいよジェニファーが復讐を決意したと知るわけです。

こういう、女性が虐げられている作品を観ると、
いたずらに女性が辱めの道具にされていると思うかもしれませんが、
わたしは女性が辱められている時は、必ず男性も辱めを受けていると感じます。
もちろん、だからって作品内の男性のカタを持ったり、
間違っても行為を許せたりはしませんが、
表現においては、性のはけ口とされる女性がいる時、
必ずはけ口を必要とする男性もいて、
その場合、男性自身でさえ、
そういう〝自分〟は、醜悪に感じるのではないかと思うんです。
この映画はエログロバイオレンスで観客を呼ぼうとはしていて、
一見そのようにも見えるんだけれど、
もうちょっとその奥を考えさせられる、そういう作りになっていると思いました。

いや、面白いか面白くないかでいったら、
面白くないですよ(笑)
傑作とは思いましたが、二度とは観ないでしょうね。


     
「赤い影」

1973年作品。
先日upした、「死ぬまでにみるべきホラー」の中にあったので、
さっそくレンタルしてみたのですが…。

やばいくらいつまらなかった!

えーと、年代的に、「サスペリア」とかがOkだった頃なんですよね。
で、いろいろ解説などを見ると、
物語がどーのこーのより、映像作品としてスゴイと。
う、うーん…そっか、うーん(-_-;)

「サスペリア」もそうでしたが、
とにかく意味不明で意味深なシーン、びっくりさせる音響、唐突な展開、
目白押しですよ!
30分たったあたりから、「わたしには合わない」と感じ、
苦痛の時間を過ごしました。

わたしはねー、もともと頭の固い人間だったから、
きちきちした物語じゃないとアカンかったのですよ。
でもね、「カル」を観てから、〝曖昧でも良いのだ〟という境地に至り、
以来、とりあえず面白ければ、伏線を拾ってないとか、
意味がわからないとか、そういうことは些末と感じるようになったわけです。

そんなわたしが観てさえも、
つまらないものはつまらないんだよ!

ほんっとゴメンナサイ。
Amazonの評価とかも高いしね、
この作品のくわしい批評書いてるヒトはみんな高評価なんですよ、
芸術的とかね、傑作とね。・゜゜(ノД`)
もうね、でも、最初から最後までつまらなかったのです。
好きな要素が一個もないのです。

これは、わたしのおおよその想像なんですが……
当時はイギリスの人たちにとってベニスってスゴイ、
謎めいた異国、だったのではないかなと思うんです。
終始、〝わたしの想像の国…〟みたいな曖昧な描かれ方をしていたので。
それに、「ホステル」の時にも感じた、
〝言葉のわからない異国にいる不安〟を煽るわけです。
そういう不安感だけはホラーっぽかったですね…。

そんなわけで、私にとってはツライ作品でしたが、
観る人が観れば、とても素晴らしい作品とのことなので、
わたしとは意見が合わない、という方にはオススメです。


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