「マン・オブ・スティール」 [映画]

     

「マン・オブ・スティール」

要するに新生「スーパー・マン」ですね。

物語についてはそれほど言及するようなところはありませんでした。
「それホントに必要か?」
というシーンが頻発しますが、せいぜい好き嫌いの問題かな?
たとえばスーパーマンの故郷であるクリプトン星の崩壊までの物語が、
えんえんと、えんえんと、最先端CGによってこれでもかと描かれます。
スーパーマンが割と陰湿なイジメにあっていた子供時代も、
全体で数回にわたって回想されます。

一応、概要を説明しますと、
この作品の脚本・制作を担当したクリストファー・ノーランさんは、
「バットマン~ダークナイト」を作った人で、
アメコミヒーローをリアルに描きたいッ! となぜか決意しているらしいです。
今作の監督、ザック・スナイダーさんは、
日本のヲタク文化に多大な影響を受けた方で、
この作品の戦闘シーンも、「鉄腕バーディー」に影響を受けたんだとか。

物語に特別なオチや展開などはなくて、
むしろ、こんなになんにもなくていいの?
というくらい、正直、お話の奥深さなどはありません。
たぶんこの作品で必見なのは、ど迫力の器物破損シーンだと思われます。
いろんな作品でいろんな物が壊れるシーンを見ましたが、
この作品は、なんの美学も思い入れもなく破壊に徹するという意味では
現時点で最高峰かと思われます。

わたしがのめりこめなかった理由に、
この作り手の人たち、スーパーマンが好きか?という点があります。
もしこの主人公が、Tシャツにジーンズの、
アメリカ育ちの超能力異星人として描かれていたら、
たぶんもっと愛情をもって全体のバランスが取られたでしょう。
おかしなスーツは最初から使わなくていいし、
Sのマークの改変こじつけも必要じゃなくなりますからね。

たとえば
「クロニクル」では銅像一つが壊れるシーンにも意味があり、
「パシフィック・リム」では貨物船を武器に持ってきたロボに歓声があがりました。
新しい「スター・トレック」は九割方、収益に目の眩んだ人たちの作品ではあろうけど、
観客がどれだけこの作品を求め、愛しているか理解したうえで
愛着をもった作品に仕上がっていたと思います。
(スタトレマニアではないので断言はできませんが)
自分たちの好きなように作りたかったなら、
オリジナルで良かったんじゃないかなぁ。
「クロニクル」が地味に当たったことを考えたら、
きっとTシャツにジーンズの宇宙人でも、
ノーランとザックってことでヒットはしたと思いますし。
というか、スーパーマンを題材にしたせいで、
むしろ小ヒットにとどまった気がします。
わたしはスーパーマンに特別な愛着とかはないですが、
必要性、という意味では、むしろスーパーマンでない方が良かっただろうにと思いました。

画像処理などは最先端、
大作としてのクオリティはさすがなのですが、
「ダークナイト」では絶賛できたノーランさんを、
「ダークナイト・ライジング」では酷評してしまうのに似て、
「お金を掛けて超俳優を揃えたらいいってもんじゃないよね」
という感想が一番正しいかもしれません。

いわゆる「アベンジャーズ」とかが、
「アイアン・マン」とか観てなくても普通に観られるように、
絶対に人生の一本にはならないだろうけど、
観ている間は愉しめる、そういう作品には違いないと思います。
「スーパーマン」に特別な思い入れのない人にオススメです。


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