生涯でオススメする映画・第二弾『エイリアン2』 [映画]

      〈エイリアン2〉

監督は当時まだ無名に等しかったジェームズ・キャメロン。
主演は当然、シガニー・ウィーバー。
個人的には『ターミネーター』のカイル役、
マイケル・ビーンが屈強な海兵隊員として登場してくれたのが嬉しいです。

実はこの映画を「観て」と強く薦めるのは難しいのです。
なぜなら公開年が1986年、つまり32年も前の映画だからです。
ただ古い、というなら問題ないんですが、
キャメロン監督のこの『エイリアン2』と『ターミネーター』は、
この手の映画の拭いがたいお手本になってしまっているんですね。

たとえば倒しても倒しても、印象的なテーマソングと共に敵が襲ってくる、など、
この作品以前にはありません。
いや、もちろん二、三回ならあるんですが、
決まったアンコールのように、
「どうせあと二回は出てくるんですよね」
という予定調和しかなかったんです。
しかも、戻ってきた時はボロボロで、
たとえば、倒したと思ったら「う゛わ゛~」と起き上がったので
パンッ、と撃ってエンド、とか。
ところが『エイリアン2』では、「また来ました」のたびに強い。
味方はどんどん減り、弾薬は狂乱するほど撃っても間に合いません。

この作品では敵はエイリアンだけでなく、
これもその後の映画の多くに影響を与える、
〈裏切り者の人間〉〈どっちにつくか判らないAI〉〈爆発を制御できないスゲー燃料炉〉
など、生き残ったメンバーの悩み事が時間をおうごとに増産していきます。

そして、これものちのち、ホラー系だけでなく影響を与えることになる、
〈絶対に守らなくてはならない愛する者の存在〉
ですね。
この、ある種の足かせがつくことで、
人々は単純には逃走できない。
なぜなら人間だから、愛を振り切れないのです。
愛を振り切る裏切り者の存在は浮き彫りになり、
愛を知らないはずのAIでも、
我が身を犠牲にする人間の姿に、初めて〝愛の形〟を見るのです。

たぶんこの作品を予備知識なく観た人がみんな思ったであろう、
ラスト前の燃料炉での闘い。
これはエイリアンの女王(母)VSリプリー(一度は子をなくした母)
のステージなんですが…。
ここに至るまでには「もう死ぬ」「もう死ぬ」ということがありすぎて、
実際、海兵隊の生き残りはもうたった一人(死にかけ)だし、
逃げようと思えば逃げられる状況にまでなったところで、
愛する者を奪われるわけです。
これはフィクションだし、
あと十分足らずで燃料炉ごとエイリアンの巣もなくなるんだから、
「もう逃げてくれよ」
というのが観てる者の本音なわけです。
実際にその状況になったら、「あなたならどうしますか?」
という究極の問いかけですよ。

さて、これでこのクライマックスは終わりません。
もう一山あって、それがまた高くてしんどい。
ぜひヒィヒィしながら確認してみてください。
頂上の眺めは絶景ですよ。

エイリアンにはいろいろ素晴らしい点がありますが、
何より、造形美の美しさがあります。
ギーガーのデザインはすべてにおいてグロテスクで、
どことなくSMのラバーを思わせてエロティックです。
ギーガーが関わらなくなって以降の作品のひどさは、
エイリアンという作品がいかにデザイン重視されていたかを想像させます。
(個人的に『エイリアン』はそもそも1と2でも別作だと思っています)

始まりから徐々に昂ぶり、
いったん登場してからはエイリアンとの戦闘のみとなるこの作品。
いろんな映画の教科書、お手本、となったことで、
かえって観にくくなってしまったのが残念です。
どうしても、「どっかで観たことあるなぁ」と思わせてしまうので。
でもこの作品が間違いなく異生物ホラーとしての傑作、
金字塔であることは間違いないので、
「怖いんじゃないの?」
「グロいんでしょう」
と、敬遠して観てこなかった方は、ぜひ生涯に一度、ご覧になってみてください。




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