『スター・ウォーズ フォースの覚醒』にまつわる思い入れ問題 [映画]

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『スター・ウォーズ/フォースの覚醒』
公開中。

面白いか面白くないかで述べるなら、
百パーセント面白い映画でした。
わたしと同じ『ファントム・メナス』シンドロームの方々にも、
(『ファントム・メナス』シンドロームの記事→http://rose-knife.blog.so-net.ne.jp/2015-12-20
安心してオススメできる傑作です。
また、大切なのは作り手である人々が、
おそらくは皮肉なことに、生みの親であるジョージ・ルーカスよりずっと、
わたしたちの世代に優しかったこと。
わたしたちの期待を裏切らぬよう、
不安を癒やすよう、限りなく、
おそらく現時点で可能な限界まで、
棺桶に片足を突っ込んでる人々のための気遣いをしてくれたこと。
ありがとうJJエイブラムス。

というわけで、
以下はこの作品から端を発し、
ここ数週間言葉にするのが難しかった〝思い入れ〟問題について。
興味のある方だけ以下から読んでください。
例としてアイドルネタなどもありますので、嫌いな方はご注意を。


『スター・ウォーズ ファントム・メナス』シンドロームでも少し語りましたが、
過去作に対する思い入れの問題は、
個人個人で異なりますよね。

わたしにとって『スター・ウォーズ』とは、
小学生のときに最初に劇場で観た、
いわゆるエピソード4で、
それ以来ずっと、『スター・ウォーズ』は特別な映画でした。
でも同じように、小学生のときに『ファントム・メナス』を観て、
「わーすごい、すてき!」
って思ってファンになった人も少なからずいたわけで、
そういう人たちにとっては、
『スター・ウォーズ』とは、イコール『ファントム・メナス』なんだ、
というのはすごく理解できます。

このへんの話は、
「オレの推しは前田だ」
「オレは優子じゃないと納得しない」
「いいや、指原だ」
「ありえない、絶対まゆゆ」
という、アイドルの推し論争に似ていて、
正解が出されることは永遠にないわけです。

で、今回の『フォースの覚醒』を観て、
最初わたしはとても安心して、感動して、泣いて、
すごく「よかったな」と感じたんです。
もちろんあの二十世紀フォックスのテーマがなかったことは、
身を切られるようにつらかったです。
あの出だしで涙が出るほどに。

それから家に帰って時間をおいて、なんとな~く、
「ああ、もう続きを観たいと思わなくていいんだ」
と、感じたんですね。

それは『フォースの覚醒』を『スター・ウォーズ』として見捨てたとか、
そういうマイナスの理由からではなくて、
たまふる(宇多丸さんのラジオ内の映画批評)で町山さんが言ってたのかな、
「ディズニーは『スター・ウォーズ』が売れてる限り、 シリーズとして終わらせる気は無い」
という言葉がじわじわと染みてきたからなんです。

このへん、またAKBの次世代問題とかとフィードしていくんですが、
AKBもわたしからすると、
前田敦子がセンターにいなくて、
板野友美もいない、指原莉乃もいない、
そういうグループは箱推し対象ではないんですね。

『桜の木になろう』

この歌(歌は47秒あたりから。冒頭と4,52あたりから前田の独唱)は
前田敦子の声なくしては泣けないし、
この先、チームBから柏木由紀と渡辺麻友のどちらもいなくなったら、
それはもうわたしにとってはチームBじゃないし。

でも時はたって、現実のAKBには前田もいない、ともちんもいない、
さっしーなんてむしろいなくて良かった、
というファンも確かにいるわけで…。

わたしにとってAKBは、好きになって十年近く、
最初の頃に好きだった形からはずいぶん変わりました。
何より取り巻く環境が激変しました。
最初は物珍しい扱いをされるだけだったのが、
しだいに国民的アイドルと持ち上げられ始め、
人気がピークを迎えると、
今度は徹底的な揶揄の対象にされるようになったんです。

わたしは2006年に心筋梗塞で入院し、
その後も心臓疾患と付き合う日々が続いています。
文字通り胸が塞ぐようなときに、
彼女たちが歌い踊る姿に元気づけられ、
(普通にドルヲタなので、入院前から好きだったんですが、
入院後、歌を聴くだけでなく、彼女たちそれぞれに興味がわいたり、
PVなども観るようになっていって、どハマりしたんですね)
本当に救われる思いを味わいました。

震災が起こったとき、
わたしを含め、おそらく多くの人が、
もどかしい、わずかな善意の積み重ねに終始したはずです。
でもアイドルは(AKBに限らず、エンターテイメントそのものは)爆発的な力で
うつむいた人々の顔を前に向けさせ、
差し伸べた手のあたたかさで笑顔まで呼び戻しました。
アイドルの本当の力って、こういうものなんだと、
わたしは純粋に感動したものです。
(こういった慈善活動さえ、偽善と罵る××はいます)
……前後しますが、
昨日書いたNMBの りぃちゃんには、
もっと早い段階でこういう役割を理解して欲しかった。
元気な人をより元気に、
弱った人にはパワーを、
そういう奇跡をアイドルって起こせるのだから。

AKBはどんどん巨大な媒体となり、
前田が卒業してからファンになったという人も
普通にいるようになりました。
魅力的な若い子たちが、それこそ震災でキラキラパワーを届けたアイドルに憧れ、
AKBに〝なりたくて〟入ってきて、
それで〝王道アイドル〟の形を追うようになり始めました。
わたしは指原を追う格好でHKT48の箱推しとなり、
(指原さんはわたしにとっては別格扱いです。
たとえ網走で一人ABS48になってもついていきます(笑))
……主には金銭的理由から限界を感じて、
AKBやほかの支店を見守るテンションが下がりました。
また、発足から応援していた乃木坂46も、
生駒里奈をセンター下ろししたあたりから、
露骨なキャバ商法がついていけず、
(あとファンのテンションが喧嘩腰で排他的なのもウンザリした)
可愛いだけで置物状態のグループを見守ることはできず、
歌だけを選択して購入するほかのアイドルと同じ応援方法に変わっていきました。

前置きが長くなりましたが、
そういう人たちの応援しているAKBと、
わたしが推していたAKBは別ものなわけじゃないですか。
これはナマモノのアイドルである以上仕方ないことだと思います。

AKBもスター・ウォーズ同様に、
たくさんの大人たちを食べさせていく媒体となった以上、
ファンがどう思おうと、
……いや、もちろん売る為にファンに寄せては行くんだけれども……
形は変わっても存続させていく、という、ね。

『スター・ウォーズ』はわたしにとって、人生に添う宝物でしたし、
それはこれからも変わらないけれど、
でも、これからは
〝『フォースの覚醒』が『スター・ウォーズ』との出会いだった〟
というファンの人が支えて続けていくものなんだな、と思ったのであります。

今年、江戸川乱歩先生の著作権が期限切れになるそうです。
誰でも許可無く公的に少年探偵団シリーズとか書けるし、
出版社は著作権料を著者の遺族に支払う必要がなくなります。
シャーロック・ホームズの著作権切れのときは、
たくさんの亜流ホームズが出版されましたよね。
ジョージ・ルーカスが死んでも、
これからは無関係にディズニーが続編を作り続けるわけです。
へたしたら『シンデレラ』のように終わりなく、
売れる限り続く…。
まさに『ア・ロング・タイム・ア・ゴー』です。

なんとなく、そういう流れを、今回身をもって知った、といいましょうか。
『フォースの覚醒』は面白かったし、続きも楽しみですが、
ぶっちゃけ、〝わたしの『スター・ウォーズ』〟ではないとも、強く感じたんです。
たぶん良くも悪くも〝現在のルーカス色〟が払拭されて、
かつての、一番いいときだったルーカスの色を、
ルーカス以上に「これでもかッ」と全面に押し出されたからかもしれません。
理想のルーカス?(笑)
でも理想の彼氏を連れてこられても、
「ニートでクズのおそ松兄さんが好き」
な、わけじゃないですか(笑)

わたしが今30歳だったら、
JJ版なんて認めねーッと、『ファントム・メナス』鑑賞後のような感覚になっていたかもしれません。
でも、もうすぐ知命(50にして天命を知るってやつね)だし(-_-;)
「なにもかも懐かしい……これでいいのだ」
って気分なのですよ。

この感覚は、たとえばえんえんと作られてる『バットマン』シリーズとか、
『アベンジャーズ』とか、『マーベルはぁはぁ系』とか、
手を変え品を変えて作り続けられるすべての作品に言えることだと思います。
わたしはまだ未鑑賞ですが、
『ジュラシック・ワールド』でも同じような感覚に陥った人は多いようですね。
もう「おれが若い頃は…」なんて語る時代ではないような気がします。
温故知新、
ちゃんと昔の古いものを理解したうえで、
「これ以上のものは作れない」と判断してるなら、それでいい気もします。
個人的には普通にがんばって挑戦したボロ負け作品の山を乗り越えてこそ、
第二第三のルーカスが生まれるんだと思いたいですけどね。

さて、
『スター・ウォーズ』が遠い未来、宇宙の童話となる日を夢見ましょうか(笑)


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